エッセイー帰国



帰国

 「広島に着いたら、まずは平和公園に行こう」 2003年6月最後の金曜日の夜、シュタイナー教育を学ぶための4年間のアメリカ生活から引き揚げてきて、やっと広島の地にたどり着いた私は、ひとり平和公園にいました。 誰もいない慰霊碑の前で、静かなときを過ごし、あれは、祈りだったのか、ひとり言だったのか、目をつむって静かに、何か大きな存在に向かって語りかけたのでした。

「帰ってきました。これから何か教育にかかわる働きをしていくのが、私の願いであり、役目のように思っているのです。採用していただけるものならば、・・・ん?誰に?何として? うーん、宇宙の採用試験に教師としてかな? とにかく、教育にかかわっていく者として、大きな大きな宇宙規模のどなたかに採用していただけるものならば、いえいえ、是非採用していただいて、そして活動していきます。どうぞ広島の地につながる霊の方々、特に58年前に、まだまだ健康で生きていく力のある体から引き離された霊の方々、どうぞ私をお導きください。私の内にあるものを、良い方向に使わせてください」

3人の我が子を連れて渡米する前まで、私は15年ほど公立中学の教師をしていました。就職し、すぐに結婚、3回の出産、と人生の大きな変化の中、自分の中で何かが目覚めていくような思いを味わいました。特に母という役割を担ったことは、私の人生にとって、非常に影響の大きなできごととなりました。子育ての中で出会った『親業(ゴードン・メソッド)』と、そして学生時代に出会った『シュタイナー教育』、この二つは、私にとって大きな2本の柱のような存在なのです。